|
■古代メソポタミアの印鑑
紀元前5500年頃に、今日の印鑑の起源となる「印鑑」が創り出されました。壮大な古代文明を築いたメソポタミアの人々が石や粘土、貝殻などを素材として個々の「印鑑」を彫り、自らの証として用いたのです。当時の人々は「印鑑」には神聖な力が宿ると信じ、これを穀物や織物など大切な所有物に押し、護守の封印としたのです。そのかたちは、当初はスタンプ形式でしたが、やがて円筒状(シリンダー型)の印鑑が登場してきます。その連続した印影に永遠の神聖な力を感じ取ったのかもしれません。これを発明したのはシュメール人で、紀元前3300年頃といわれています。ここには魚や獣などから国王や神話まで多彩な内容が描かれています。円筒状印鑑は次第にかたちを変えて、樽形となり、穴をあけて金・銀線を通し、指にはめるようになります。これが、指輪型印鑑のはじまりです。
■エーゲ海文明の印鑑
歴史上初の海洋文明を生み出し栄えたエーゲ文明でも「印」が用いられています。紀元前3000年頃の初期のものはピラミッド形や円錐形でした。印材には今日と同じように象牙が用いられ、凍石も使われました。中期(紀元前2700年〜紀元前1600年)には三稜形や四稜形のものが登場してきます。紀元前1600年以降の後期を迎えると、彫刻の技術もさらに高まり、水晶を印材に用いるようになります。描かれた内容は、初期・中期は象形文字が主流でしたが、やがて動物、魚、舞踊、神々など絵画的で複雑精緻な絵柄が現れてきます。表現もきわめて自由奔放で、芸術的な視点から見れば、古代メソポタミアやシュメール人たちが創り出した印に優るとも劣らない高水準に達していました。紀元前の時代から印章は神聖なものであると同時に、際立つ芸術品と見なされていたことを、これらの印によって推測することができます。
■ギリシャ・ローマ文明の印鑑
紀元前5世紀の頃のギリシャ・ローマ世界では、甲虫をかたち取った背中の丸い「印」が広く用いられていました。はじめは神々の姿をモチーフにしたもが多く見られますが、次第にギリシャ・ローマならではの感性や美意識を反映したエロス(ギリシャ神話の愛の神)やアフロディア(エロスの母神と恋愛の神)なども出現してきます。これらの印はインタリオと称され、貴石などに陰刻で描かれていました。やがて、ローマ時代になるとカメオと呼ばれる陽刻も多用されるようになります。その多くは装飾としての意味合いが強く、当時の名工たちによって数多くの作品が創り出されました。インタリオもカメオも共に際立つ芸術性を誇り、そのごの世界の「印」の文化に大きな影響を与えていきます。ギリシャ・ローマ文明は印章においても古代文明のひとつの頂点にあったといえるのではないでしょうか。
■古代中国文明の印鑑
古代中国で「印」が歴史上に登場するのは、紀元前11世紀の殷の時代です。大小の銅印がつくられ、神聖なものとして崇められました。官印の他に私印も生まれています。漢の時代になると粘土で封印した上に押す形式の印も用いられるようになっていきます。また、この時代に印制が発達し、印すための「印」ではなく、地位や権力の象徴としての「印」が誕生します。これを象徴するのが日本に贈られた「漢委奴国王(カンノワノナノコクオウ)」の金印です。これらの印は文面の他に材質や印に付けられた紐(綬)の色にまで細やかな決まりがあり、それぞれ位や禄(俸給)を表していました。ちなみに、印綬とは印それ自体だけでな紐も含めたものを意味しています。これらは、「漢委奴国王」の金印が示すように、中国国内だけでなく異民族の外臣(従属する国々の王など)にも贈られていました。卑弥呼の金印も同様であったと考えられています。
■ジンギスカンの印鑑
水底に沈んだ歴史的な遺跡や遺物を対象とする水中考古学でも、印章に関わる貴重な発見が報告されています。1281年に起こった蒙古襲来にまつわるものです。この時、圧倒的な武力によって壊滅寸前であった日本は、奇跡的な暴風雨によって難を逃れますが、その嵐によって沈没した蒙古軍の船の中から軍隊が所持していたと推測される銅印が引揚げられてます。1981年のことです。この印章の横には1277年の刻印が印されており、まさに往時のものであったことがわかります。印の文字は元の皇帝フビライがチベットの僧侶であったパスパに命じてつくらせたパスパ文字です。ちなみに、この印章は最前線の部隊の隊長に与えられたものであったと考えられています。約700年の時を越えて再び出現した印章に、はるかな歴史の足跡を見ることができるわけです。
■日本の印鑑の始まり
天皇に木製の印を献上したという史実が「日本書紀」に記されています。祭礼に用いた神具であっと推測されており、これが日本の文献にはじめて登場する印章です。また、現存する最古の印章は国宝に指定されている「漢委奴国王」と刻まれた金印で、漢の光武帝が倭の国王に贈ったものです。このように日本の印章の歴史は千数百年前までさかのぼることができますが、本格的な印章制度がはじまったのは、大化の改新で二官八省制が定められ、大宝律令と共に印章の制度が制定された時からです。天皇の内印、太政官の外印、その他の用いる諸司印などの官印が政府によって鋳造され、公文書に捺されるようになりました。また、地方では官印に準ずる印として使われた寺社印も見ることができます。印材はすべて銅印です。官印の捺された公文書は現在も正倉院などに数多く残っています。
■平安時代の印鑑
平安時代に入ると私印が用いられるようになります。これは高位の貴族だけに許された印章で、書類だけでなく蔵書などにも捺されました。さらに、平安時代の後期になると花押(かおう)が登場します。文字通り「花のように美しい印」であり、独自性が際立っていたこともあって後鳥羽上皇をはじめとする天皇たちが公文書にもこれを用いるようになります。花押は書判(かきはん)の別名があるように判とサインの双方の役割を担っていました。このような流れは鎌倉時代にも受け継がれていきます。武家文書の大半が書状に花押が捺されるようになります。これは平安時代の前期まで受け継がれてきた印章制度が揺らぎ、藤原氏をはじめとする武家たちによる新たな印章の時代がはじまる象徴的な現象でもありました。また、僧侶や文人の間では落款印が流行していきます。
■戦国時代の印鑑
戦国時代になると天下統一を夢見る武将たちは、花押ではなく、それぞれ独自の個性にみちた印章を用いるようになります。その鎧兜や旗印などと同じく、自ら用いる印章にも権威を強く押し出そうとしたのです。たとえば、武田家は「龍の印」、上杉家は「獅子の印」、北条家は「虎の印」といった具合です。この他にもローマ字を使った印章として黒田長政の「Curo
NGMS」などが名高く、キリシタン大名であった大友宗麟はイエズス会の記号である「IHS」と洗礼名「FRCO」を組み合わせた印章を刻んでいます。戦乱の炎の中を疾風のように駆け抜けた織田信長の「天下布武」の印章も有名です。美濃稲葉山城を攻略した直後につくられたもので、天下統一への悲願が込められた印章です。ちなみに、豊臣秀吉の印章は直径4cm程度の小さな円形印で、今日でも判読不可能な文字が彫られています。彼にだけにわかる深き想いが込められた印章だったのかもれません。
■江戸時代の印鑑
徳川家康の印章の特徴は歴代の印章に儒教に関わる文字を採っている点です。最初の印章は「福徳」と刻まれていました。やがて、自身の名前が入った印章を使うようになっていきます。ちなみに、公的な貿易船にもおなじように自分の名前の入った「朱印状」を与えています。これを携えた貿易船が「朱印船」です。戦乱を経て泰平の世が訪れると、行政が細やかに整備され、商業が発達するにつれて、印章は庶民にまで普及していきます。証文に用いられる印章は当時から実印と呼ばれ、名主が農民たちの印章を預かり、これを代官に届け、これによって印鑑帳がつくられました。また、今日の戸籍台帳ともいえる「宗門人別改帳」も作成され、寺の住職が檀家であることを証明するために印章を捺しました。
■現代の印鑑の始まり
明治6年に発せられた太政官布告には、実印が捺されていない公文書は裁判において認められないことが明記されており、法的にも実印の重要性が確立。これを受けて、広く実印や認印が普及していきました。このようにして律令時代から千年余の時を経て官印制度は復活したのてずか、同時の政府はこれと合わせて欧米のサインも併用していこうとしました。しかし、この試みは日本の社会に馴染まず、経ち切れになり印章を最重視する社会的慣習が完全に定着しました。ところで、印章は判とも称されますが、これは判決書に印章が捺されたためです。また、ハンコは「判行」から転じたものといわれています。世界的には数千年の歴史を刻む印章は、日本においても古代から継承されてきたものであり、そこには人間の英知が時を超えて深く息づいているのです。
|